沖縄発信・生きるチカラ
南風原文化センター
生きるチカラ〜福島から沖縄へ イ ヌ :スズキ ハナ
    2011年9月22日〜10月4日 カ ン タ: 鈴木 智美
時間9:00〜18:00<水曜日休館> パステル : 鈴  忠壽
            

手前:福島〜沖縄までの移動したルート


刺繍:カンタ


那覇市内松山公園内袋中上人行化碑
   

入って正面に大震災・原発事故当時の日付の入った新聞紙を下地に墨とパステルを用いて、縦2.6×5m「イノチイノルイノチ」を展示。3/11の震災・原発事故により、今までの生活が一変。あり得ない事だらけの6ヶ月。目に見えない不安と恐怖・怒りが増幅するとともに、絵も拡がる。精神的にも肉体的にも打ちのめされた思いと“生きる”について真剣に向き合った6ヶ月間の記憶を忘れさせないためにも表現。右往左往しながらも1人1人が心のささえが、こころの礎を求めて。
福島から鹿児島まで約1500km何のトラブルもなく走り続け沖縄まで連れて来てくれた、20年間乗っている車も展示。この車に皆様の思いやメッセージをお書き下さい。この一時を大切にしながら「こころの礎」を持ち、夢の設計図を思い描いて人生第2ステージの始まりです。

 福島と沖縄をつなぐ
今から400年ほど前 織田・豊臣・徳川時代に至る激しい変革期に、福島県いわき市(現)から1人の僧 袋中上人が沖縄に来流した。「誰でも念仏を唱えることによって救われる」自然崇拝・浄土念仏の素朴な鉦(かね)の音にあわせて踊る「念仏踊り」が広まり、琉球の人々によって三線と独特の音楽で現代のエイサーとなった。
経済・思想の不安に直面し恐れおののいた時、上人は万人の安堵と衣食生活の安らぎが念仏(大慈・大悲)の中にあるのだと説いた。田や畑を耕し、人と大地が一体となり耕すことを通して仏とつながろとする。大地に生まれ大地に還る。
平和の大切さを身をもって経験した沖縄と福島。遠くて近い結びつきを深く感じ、地域住民から強い意志と叫びつづける持続力、安心・安全を最優先した暮らしを足元から守らなければならない。
悲惨な思い、苦い体験を乗り越えて、より一層 祖先を敬い 生まれた土地や風習・文化を愛し思いやりと慈しみが心の平和へとつながります。念仏踊りがエイサーが、これからも世代を超え、地域を越え発信しつづけますます拡がっていくことを願います。   

  袋中上人(たいちゅうしょうにん)
生い立ちとその行跡
1552年1月29日 生家:福島県いわき市常磐岩ヶ岡
5歳で千字文をそらで覚える
6歳で中国古典である五経を唱える
7歳の時、剃髪し能満寺へ:福島県いわき市常磐西郷
16歳 如来寺にて学業に励む
20歳 専称時・円通寺へ学識、知性にみがきをかける
25歳 増上寺に精進をかさね、浄土宗の知識をつむ
29歳 浄土宗派本山 成徳寺の住持職となる
48歳 磐城平城主 磐城貞隆が苦提院に上人を迎える
52歳 中国・当時 明へ経論の教えをの願いも入明 否
上人は琉球に入り浄土念仏をともし小禄浄土を伝える。
55歳 便船にて帰国
60歳 京都三条大橋のほとりに草庵
72歳 天満宮の社壇の下に心光庵にて念仏
88歳 飯岡に:現 西方寺 寛永16年1月21日終焉
念仏の中に起き 念仏の中に眠り 念仏の中に食し 念仏の中に動き 念仏の生活
*袋中とは「きりが袋の中からあらわれる」きりを袋の中に入れておいても自然に突きや ぶって出てくる。真の人物はいまはかくれて見えなくても、やがてその徳によって世に あらわれる。


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